すべての道はテレビに通じる。
テレビ、好きですか? 僕はまあまあです。
深夜にテレビを見ていると、ふとテレビ業界の人は「すべての人が最終的にテレビに出るのを目標として生きている」と思っているのではないかと考えることがある。
一部の例外はあるものの基本的にはお笑い芸人やアイドル、タレントはテレビ出演を一つの目標として活動しているのは間違いないだろう。テレビにでるまでの期間を「下積み」と呼ばれ、テレビにでたことで「売れた」と評されるのはそういうことだ。
しかしそうでない業界からひょっこりテレビに出てしまう人も多くいる。医者、オカマ、モデル、スポーツ選手、棋士、作家、歌手、、格闘家、バイオリニスト、大家族などなど、本来テレビに出ることが目標ではない人たちがテレビにでて、いつの間にかタレントとして活動しているのは珍しくない。
例えば幼いころから日々鍛錬を続けてオリンピックに出場したスポーツ選手、本人の認識としてはテレビタレントとしての仕事は「新たな目標」なのか「頑張ったご褒美として稼げるボーナスタイム」なのかはわからないが、テレビ業界の人から見れば「オリンピックにでたことでテレビの世界への切符を手に入れた人」になるのでは。
話は変わるが、あなたの町の奇人はどんな人だろうか。目立つ格好をして町を練り歩く人を見たことがあると思う。そんな町の奇人がテレビにでているのを目にする機会も最近は増えた。「あっ、あの人だ!」と少し嬉しくなると同時に、「結局ただの目立ちたがり屋か」と少し残念になる気持ちが生じる。勝手だが、町の奇人たちにはもっと自由で横暴といてほしいという期待があったのだ。テレビの取材などには応じず、糞をぶん撒いて追い払ってほしい。他人の目を気にしないから珍妙な格好をしているのではなく、他人を目を気にしているから珍妙な格好をしていると気づかされてしまったのだ。
町の奇人として有名な人も、結局はテレビにでるために延々と奇行を頑張っていたという例もある。同じようにテレビにでたくてしかたないアイドルがそんな奇人に弟子入りして一緒に練り歩いているという話も聞いたことがある。そんな人ばかりならテレビ業界の人が「世の中の人はみんなテレビにでることが最終目標」と思ってしまってもしかたないのかもしれない。
だからどうするべきだとか、どうなってほしいか、という明確な要望のようなものはもっていないのだけど、ただちょっと、なんとなく嫌だなと思った。
傘と自転車はもっと進化してもいい。
今月、無職になり時間ができたのでロードバイクを買いました。あの、ハンドルが下にくいってなってるめっちゃかっこいいやつです。Bianchiなのに緑色じゃないやつにしました。安かったから。
子供のころからずっと「傘と自転車はもっと進化していい」と思っていました。中学生のころ乗っていた自転車はMIYATAのいわゆるママチャリです。通学するのに不自由はありませんでしたが、それでも漠然と「今の時代の技術ならもっと速くてもいいはず」だと考えていました。ロードバイクという存在を知ったのは友人Fくんからです。
当時自分とFくんとは「ママチャリでとにかく遠くへ行く」という遊びにはまっていて、北海道の何もない道を早朝に出発し昼頃に折り返して帰ってくるということを繰り返していました。あまりに過酷な道程に弱音を吐き「もっと楽な手段があるんじゃないか」とぼやく僕にFくんは「調べてみたんだけど、ロードバイクっていう自転車があるらしい」と教えてくれました。
僕らの住んでいた帯広市にも当然のことながらいくつもの自転車屋があって、どこかの店ではロードも買えたと思うのですが、中学生の僕らにはそれが自分たちにも乗れるという認識はまったくありませんでした。
中学校で使っていた英語の教科書にはランス・アームストロングが癌から復活したエピソードも載っていたし、北海道の人気タレント大泉洋が声優を担当した那須アンダルシアの夏も公開されていました。しかし実物を見たことはありません。
田舎の学問より京の昼寝という言葉もありますが、田舎の中学生だった僕らには、ロードバイクなんてものはハリーポッターの箒と同じくらいの存在感でした。
実際にロードバイクに乗るようになるのはそこから五年後、大学生になってからなのだけど、乗るようになってからはあの頃から抱いていた「もっと進化してもいい」という疑問に答えが出ました。自分が知らなかっただけで、めちゃくちゃ進化してました。
めちゃくちゃ速いし、めちゃくちゃ遠くまで行ける。
もちろん乗りこなすにはそれなりにきつい思いをして鍛えないと全然速くならないし遠くにも行けないのだけど、あの頃重いママチャリで北海道の山を登っていたことを考えればなんてことないはず。
もし中学生の自分と話すことができたら、お前が心配しなくても人間って色々進歩してるぞ、と伝えたい。
傘はもっと頑張れ。